正解はない、親は子どもをよく見てどれくらいなら耐えられるのかを判断すべき 元プロ野球選手・五十嵐亮太(後編)|子どもの頃こんな習い事してました #34

スポーツ界の第一線で活躍しているアスリートに、幼少期の習い事について訊く連載。自身の経験を振り返っていただき、当時の習い事がどのようにその後のプレーに活かされたか、今の自分にどう影響しているかを伺います。

子どもの頃は水泳、ピアノ、そろばん、習字⋯⋯さまざまな習い事を楽しんでいた五十嵐亮太さん。両親の教育方針は「好きなことを続ける」。しかし好きなことをしていても苦しい時期は訪れます。その乗り越え方についてアドバイスいただきました。

前編:どんな習い事も、野球に役立てようと思えば役立つ。絵を描くことも野球に活きた 元プロ野球選手・五十嵐亮太(前編)

「子どもが夢中になって楽しくできていること」こそが喜び

――投手になったのは高校からだそうですね。

小学生の頃にもやっていて、中学3年間は全然やっていませんでした。高校の監督がピッチャー経験者で、僕が入ったときにすぐにピッチャーをやらせてくれて。僕はもともとピッチャーをやりたかったので楽しかったですね。守備が上手いわけでもないし、足が速いわけでもないし、でも肩が強かったので、活かせるとしたらピッチャーぐらいだろうなと思ってたんです。だからその監督に出会ってなかったら、僕はプロ野球選手になってなかったんじゃないかと思います。出会いやタイミングって大事だと思います。

――今、「プロ野球の選手になりたい」と練習に励んでいる子どもやその親御さんに何かアドバイスはありますか。

子どもが夢中になって楽しくできていることに喜びを感じていいと思います。その先はわからないことなので、期待してもどうにもならない。うまくいけばいいけど、そうじゃなかったときにがっかりされても、子どもの知ったことじゃない。親が勝手に期待するのは子どもにとって迷惑な話ですよね。

今、野球を楽しんでいるのは、そういったことに巡り合ったという証拠。そういうことに巡り合えない子どもたちもやっぱりいると思うんです。やりたくてもできないとか、自分に合うものに出会えないとか、いろんな形がある中で、好きなことをやって汗をかいて泣いたり喜んだり、この時間が大事。

運動して心も体も健康な状況で、なおかつ好きなことに夢中になれる。そういった時間を過ごせた子どもは、その先もその経験を思い出して、仕事などに繋げていけるかもしれない。指導や教育は大事ですが、子どもは子どもなりに感じていることがあって、親が教えていなくてもとっくに知っていることもあるので、その辺は緩やかに見てあげたほうがいいと思います。

――そう頭では考えていても我が子にはついアツくなってしまうという方も多いのですが、五十嵐さんご自身のお子さんに対しても「ああしなさい、こうしなさい」と言わず大らかに見守る教育方針ですか。

我が家はそういうタイプ。「好きではないことをやったところで⋯⋯」というのがあるので、逆に、僕があんまり言わなすぎて問題があるかもしれない。もちろん我慢を学ぶことも大事だけれど、子ども時代を振り返ったときに、苦しかった、つまんなかっただけで終わるのは寂しいじゃないですか。なので、子どもが喜んでいる姿さえ見られればOKなんじゃないのかなと思います。

――「夢中になって楽しくできていることに喜びを感じていい」とのことですが、五十嵐さん自身が子どものころを振り返って、強く思い出に残っていることはありますか。

基本、楽しいことばっかり。今の時代は、子どもは勝負だけにこだわらなくていいという考え方もあるけれど、やはり勝ち負けがスポーツの魅力。勝つ喜びや負ける悔しさを感じることで成長に繋がると思う。僕自身、小学生の時に地域の強いチームに勝ったときの喜びは今も覚えています。

子どもが「サボりたい」と言ったとき、親の判断は?

――お子さんはどのような習い事をしていますか?

大学生の娘と中3の息子がいますが、僕がやったような習い事は一通りやりました。2人とも幼稚園から今も続けているのはクラシックバレエ。妻がクラシックバレエをやっていたというのがあって、アメリカにいたときも習っていて、東京に帰ってきてからも続けています。

――野球はしなかったのでしょうか。

息子は野球を見るのは大好きなんですが、合う合わないがあるんでしょうね。キャッチボールをしても全然楽しそうじゃない。だったらやりたいことを続けたほうがいい。僕の場合、子どものころに本当に好きなものと巡り合って、それを続けて仕事にできた。そういうものはなかなか見つかるものではないですよね。

――習い事において厳しく言ってること、これだけは守ってほしいことはありますか。

やっぱりたまにサボりたい時があるけれども、簡単にはサボらせないです。だけど、「そこまでいうなら無理する必要もないかな」と休ませることもある。これはもう本人の表情や目を見て話して判断するしかない。親が練習させないと自分からはやらないということもあるかもしれないけど、子どもに「練習させられてる」と感じさせないように、自分から「練習したい」と思うような環境を作った方がその子のためになると思います。

でもわかんないね、ピアノなどの芸術系は、しんどい思いして練習させられたのがよかった、うまくいったという人もいるし。それは子どもの性格や、どれくらい親が子どもと向き合えるかによる。正解は本当にない。

今はどんな時も現役のときほどのプレッシャーはありません

――引退後、スキーを始めて、バイクの免許も取得したそうですが、これから始めたいこと、習ってみたいことはありますか。

絵のお仕事をいただいているので軽く絵を描きながら、楽な感じでやりたいことをやるスタンスです。今は現役の頃のようなどうしようもないほどのプレッシャーを感じることはないので、楽しいです。例えば生放送出演でも、マウンドに上がる直前の心理状況を考えたら、そこまでのプレッシャーはないから全然いける。「この試合は落とせない」という緊迫した場面の経験はやはり大きい。

そういうプレッシャーがないのは寂しさでもあるけれども、あったらあったで自分の気持ちをコントロールできないことも多々あるので、そういった意味で言うと今は穏やかに力を抜いた状態で日々過ごしています。

――今後、指導者になることはありますか。

こればっかりはお話をいただけるかいただけないかというところなんで。意識してなくはないですが、今のところはないかな。今はチームから離れたところで野球解説をさせてもらって、他の引退した方の話を聞いて、今まで気づかなかったところが見えて勉強になっているので。野球にはずっと携わっていきたいと思っているので、指導者になることを見据えつつも、今の生活をもうちょっと楽しみたい。

「敬遠」は逃げるのではなく一時退散、それでいい

――前編で「野球人生を謳歌できた」とおっしゃってましたが、引退してからも楽しそうですね。

もちろん楽しいことばかりじゃないけど、楽しい話のほうがいいじゃないですか(笑)。今は落ち着いてきたけど、引退して1年目は自分はどういった方向に行くのかと探りながらの時期でした。現役の時もハッピーとそうじゃない時間、どっちが長かったかといったら、「ハッピーのほうが長かった」とはなかなか言えないです。特にアメリカにいるときは苦しい時間の方が長く、もうダメだ、このままいったらクビになっちゃうっていうこともあった。メンタル的にコントロールできなくて眠れず、「今日の朝の光、妙に嫌だな」と思ったこともあります。

――そうした苦しい時期をどのように乗り越えたのでしょうか。

とにかく立ち上がって、立ち続けて、次どうするかを考えて探す。もちろん他の人からいろんな話を聞くこともあります。自分が投げたいと思うボールを投げられなかったら、投げ方を変えるなどいろんなことに挑戦しなきゃいけない。挑戦したらしたで、他がダメになる場合もある。

野球選手は常に探っているんです。いつも同じスタンスでは絶対に生きていけないから、そのシーズンの中で何がはまるか必死で探す。それを見つけたときが野球選手としての喜びですよ。「これハマった!」「これであと1~2年持つかな」って。

ひたすら探してもみつからないのに、突然降ってくることもあるんです。でもそれは夢中になって真剣にやってる人にしか来ない。そうして苦しい時間を乗り越えることが、生きてる中での⋯⋯なんていうのかな、大切な経験として生きてくる。苦しいけれどもうまくいくために必要な時間だと思う。

――五十嵐さんでも苦しんでそれを懸命になって乗り越えてきたというのは、野球少年たちの励みや刺激になると思います。

ただね、小学生や中学生くらいだと、苦しいときに、今いる環境がすべてだと思っちゃうじゃないですか。そうじゃないっていうのはわかってもらいたい。環境は変えられるし、逃げるのも策だと思うんです。逃げるのは無理だと思っても逃げられるから。ピンチになったら逃げる。

プロでもそんなことはたくさんある。野球でいったら敬遠もそう。無理に勝負する必要ない。あれは逃げるんじゃなくて一時退散なんです。「また戻ってくるから待っとけ」というスタンスで、常に向き合い続けなくてもちょっと距離を置いてみればいい。

やはりその判断は親。子どもを見てどれくらい苦しいのか、どれくらいなら耐えられるのかを見る。体へのトレーニングと一緒です。ケガのない程度に刺激を入れないと強くならないけれども、刺激を入れすぎるとケガをする。そのあたりの見極めが大事だと思います。

[プロフィール]
五十嵐亮太(いがらし・りょうた)
1979年生まれ、北海道出身。1997年、敬愛学園高校からドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。最優秀救援投手や、優秀バッテリー賞を古田敦也と獲得するなど、名実ともにヤクルトスワローズの守護神となる。2010年シーズンから2012年シーズンまでMLBでプレーし、通算5勝をあげる。 2013年より福岡ソフトバンクホークスに移籍。 2019年から古巣・ヤクルトスワローズに在籍。 2020年シーズンを持って引退。引退後は野球解説ほか、多方面で活躍している。

<Text:安楽由紀子/Edit:丸山美紀(アート・サプライ)/Photo:小島マサヒロ>

Source: メロスブログ
正解はない、親は子どもをよく見てどれくらいなら耐えられるのかを判断すべき 元プロ野球選手・五十嵐亮太(後編)|子どもの頃こんな習い事してました #34